この映画は、僕が師事したドキュメンタリー作家・佐藤真監督が自ら命を絶ってしまったことから始まった。「阿賀に生きる」「SELF AND OTHERS」「阿賀の記憶」など数多くの優れた作品を作り出し、実作に基く
優れたドキュメンタリー評論でも有名な彼は、僕にとっては何より先生だった。
佐藤さんは1999年に開講された映画美学校のドキュメンタリーコースの主任講師となり、
当時、新進気鋭だった是枝裕和や諏訪敦彦、森達也らを講師に迎え、これまでにないドキュメンタリーの
新しい映像表現を探求する実験場を作ろうとしていた。
テレビ番組制作会社に入社して1年目で、ADとして膨大な雑務をこなす毎日に疲れていた僕は、この学校に
飛びついた。佐藤さんが教えてくれる世界のドキュメンタリーを鑑賞しては、作品に対する批評について
教わり、やがてそれぞれが撮影してきた素材を持ち寄っては議論をし、作品作りを目指していった。
とにかく面白かった。
激しい議論をした授業の後、佐藤さんはよく飲みに連れて行ってくれた。ほろ酔い加減の佐藤さんは、人生に迷う若者たちの声に本当に熱心に耳を傾け、鋭い意見で僕たちを批評し、最後はいつもへべれけだった。映画美学校を卒業した後も、撮影の現場にスタッフとして連れていってもらったりしながら、たくさんの酒を飲みドキュメンタリーについてたくさんのことを教わった僕は、いつも佐藤さんの背中を追いかけていたような
気がする。
その後、テレビのドキュメンタリーの仕事をするようになり、佐藤さんとはあまり会わなくなったけれど、
演出をする上で迷った時は必ず佐藤さんの本を読んだ。「日常という名の鏡」は一体何回読んだかわからないほど、赤線だらけで、今でも良く読み直す。
彼は僕のドキュメンタリーを考える上での大きな指針なのだと思う。
佐藤さんが亡くなったのは、2007年の9月だ。何年も会っていなかったのに、その数ヶ月前にたまたま、
電車で一緒になった。「加瀬澤君、どうですか?頑張ってますか?」と聞かれ、たわいもない話をした記憶がある。その時、佐藤さんと話した感じとか、顔の表情とか、なんだか今でもその状況が不意に蘇ることが
ある。
佐藤さんが亡くなったと友人から連絡をもらった時、涙がとまらなくなった。じっとしていられなくなって、ひたすら歩いた。その夜は雨がしとしとと降っていて、濡れながら歩き続けて、自分がどうしたのかよく覚えていない。
その時から、心に引っかかる何かがある。何かしなくちゃ、無性にそう思って、自殺について調べるようになり、この取材が始まった。僕はこの作品を作ることで佐藤さんと会話したかったのかもしれないな、と
今は考えている。
ずっと、佐藤さんに自信を持って見てもらえる作品を作りたいと思っていた。この作品を作っている時、心の中にずっと佐藤さんがいたような気がする。ニコニコ笑いながら、でも目の奥に鋭い光を忍ばせた作家の佐藤真さんが、僕に聞いてくる。
「加瀬澤くん、どうですか?」
逆に聞き返してみたい。その答えは、僕は今も探しているからだ。